古くは東京湾に面した漁村として栄えていた幕張ですが、昔の海岸線である国道14号線をはさみ町の雰囲気が大きく異なります。
海側の美浜区は埋め立てられ新都心として開発されており歴史を感じさせるものはありませんが、山側の幕張町は今でも多くの史跡が残されています。
当時の海岸線は今の幕張の浜のように砂浜が続くゆるやかな浜辺ではなく海岸ぎりぎりまで山が迫っていた場所もあったようで、県道57号線沿いにある大須賀山もかつては南側が海に面していたそうです。今となっては埋め立てられその面影はありませんが、今回はその大須賀山の登山に挑戦してきました。
大須賀山は標高15mと登山の心得のない私にはちょうど良い高さ。登山口?は全部で3つ確認することができましたが、県道57号線沿いの階段を登っていくのが一般的であるようです。
階段を上るとさっそく首塚の案内がありました。首塚を訪れる方は意外と多いようです。
この先青い壁を過ぎた左側にかつては大日堂があったため大須賀山は「堂の山」とも呼ばれているようです。
ここが大日堂跡です。宝幢寺の別院として管理されていましたが、かつては独立した寺院であったようです。しかし老朽化のためお堂は平成13年に取り壊され中の大日如来は宝幢寺に移されました。
大日堂跡を逆から眺めると埋め立て地区の高層マンションが見えました。さらに遠くには海浜幕張駅前の高層ビル群も見えます。
大日堂跡の奥に首塚の案内板(その2)があります。つきあたりを左に進むと首塚です。案内板の右側に2つめの登山口があります。画像左側の茶色の小屋が「かぜひき地蔵」です。
2つめの登山口はアパートの駐車場で、いきなり大須賀山の中腹に到着です。
かぜひき地蔵におまいりすると風邪が治るそうです。
首塚の案内板(その2)の通りに進みます。
さらに山を登るのですが、今までより木が茂っています。2月でこの程度なので夏はさらに困難な登山が予想されます。
生い茂った登山道を進むと少し広い場所にでます。大きな木がたくさんあり幕張にこんな自然が残っているのだと意外な気持ちになります。この広い場所の右側に3つめの登山口があります。
3つめの登山口は住宅街となっていました。ここまでくるとほぼ山頂なので、この住宅街口からでは登山の醍醐味は味わえません。
前の画像の開けた場所から少し階段を上ると大須賀山の山頂です。大きい木に囲まれており登頂の達成感はありませんが、幕張でこのような自然林が残っていたことを知ることができて十分満足することができました。
山頂から振り返ると上ってきた階段が見えます。この階段で上った部分が馬加康胤(まくはりやすたね)の首塚とのこと。案内板には方形の塚であると書いてありましたが、木がたくさん生えており塚の形は良くわかりませんでした。
そして首塚の上にある五輪塔がその供養塔です。江戸初期のものと伝えられる五輪塔は意外と大きく4mくらいはありそうです。もっと薮の中にひっそりあるものかと思っていましたが、予想より立派で見応えがあるものでした。
幕張に残っている数少ない自然林、そして立派な史跡を堪能できる大須賀山は幕張では意外性のある場所でお勧めです。登山口は3つありますが、住宅街口とアパート口は知らない人では見つけることが難しいので、やはり一般的な県道口からの登山が良いでしょう。難点はどの登山口も車を停める場所がないので車でのアクセスが面倒なところです。
2013年2月11日月曜日
2013年2月10日日曜日
坂東三十三観音 第31番 大悲山笠森寺
千葉県の長生郡の山中にある笠森寺。通称笠森観音と呼ばれていますが、笠森寺という天台宗のお寺です。ちなみに本堂は国道沿いにありますが、特に案内もないため、ほとんどの方は本堂には行かず駐車場から観音堂に向かってしまいます。今回も駐車場から参道の階段を登り観音堂に向かいます。
階段を登りきると三本杉の看板があり、根元がつながった大きな杉の木が生えていました。生えはじめた時に分岐したものでしょうか。
表参道と女人坂の合流地点にある「子授楠」です。根元梯子を上り穴を通り抜けると子授けのご利益があるそうです。穴のむこうには石造りの観音様がいました。
松尾芭蕉も笠森観音に来たことがあるようで、観音堂で詠まれた句が石碑になっています。
参道の坂を登りったところにある門は仁王門ではなく二天門でした。
二天門の中の風神です。
こちらは雷神。少しバランスが悪いですが迫力があります。
二天門の中には風神雷神の他に閻魔大王と奪衣婆、賓頭盧尊者像もありました。
屋根が重そうな手水舎です。龍の口から流れ出るタイプで、水はお堂の前にある宝生谷から200m揚水しているもの。。
ちなみに裏手のほうに仁王門もあります。こちらは新しめで仁王像も迫力がなくいまいちです。目立つ場所にあるわけでないのでわざわざ見にくる人も少ないようです。
国指定重要文化財となっている四方懸造りの観音堂です。このような懸造は京都の清水寺本堂のように前面が懸造となっているのが多く、坂東三十三観音第十七番札所である満願寺の奥の院も前面および側面が懸造となっていました。笠森観音の観音堂のように四方が懸造になっているのは珍しく全国で唯一ここだけのものです。
十一面観世音菩薩のご本尊は秘仏となっており、ご開帳の時期以外は直接拝観することはできません。ただしご本尊の手から「御縁の綱」と呼ばれる綱が伸びており、持参した布(ハンカチ等)を結ぶと観音様と御縁を結ぶことができるのだそうです。
長元元年(1028年)に建造された観音堂は昭和33年に全て解体され修理されました。そのとき観音堂を支えている61本の柱のうち1本のみ新しい柱に交換されたそうで、観音堂の後ろにまわると1本だけ他の柱と趣きの異なる柱がありました。下から見ていると安定感のない建物に見えますが今まで台風や地震等の災害の被害で致命的なダメージを受けたことはなく東日本大震災の後も問題なかったとのことでした。
過去の参拝履歴
第1番〜第4番札所(杉本寺、岩殿寺、安養院、長谷寺)
第5番勝福寺
第6番長谷寺
第7番光明寺
第8番星谷寺
第9番慈光寺
第10番正法寺
第11番安楽寺
第12番慈恩寺
第13番浅草寺
第14番弘明寺
第15番長谷寺
第16番水沢寺
第17番満願寺
第18番中禅寺
第19番大谷寺
第20番西明寺
第21番日輪寺
第22番佐竹寺
第23番観世音寺
第24番雨引観音楽法寺
第25番筑波山大御堂
第26番清瀧寺
第27番清瀧寺
第28番滑河山龍正院
第29番海上山千葉寺
第30番平野山高蔵寺
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