2013年2月11日月曜日

大須賀山の首塚

古くは東京湾に面した漁村として栄えていた幕張ですが、昔の海岸線である国道14号線をはさみ町の雰囲気が大きく異なります。

海側の美浜区は埋め立てられ新都心として開発されており歴史を感じさせるものはありませんが、山側の幕張町は今でも多くの史跡が残されています。

当時の海岸線は今の幕張の浜のように砂浜が続くゆるやかな浜辺ではなく海岸ぎりぎりまで山が迫っていた場所もあったようで、県道57号線沿いにある大須賀山もかつては南側が海に面していたそうです。今となっては埋め立てられその面影はありませんが、今回はその大須賀山の登山に挑戦してきました。

 

大須賀山は標高15mと登山の心得のない私にはちょうど良い高さ。登山口?は全部で3つ確認することができましたが、県道57号線沿いの階段を登っていくのが一般的であるようです。


階段を上るとさっそく首塚の案内がありました。首塚を訪れる方は意外と多いようです。
この先青い壁を過ぎた左側にかつては大日堂があったため大須賀山は「堂の山」とも呼ばれているようです。

ここが大日堂跡です。宝幢寺の別院として管理されていましたが、かつては独立した寺院であったようです。しかし老朽化のためお堂は平成13年に取り壊され中の大日如来は宝幢寺に移されました。

大日堂跡を逆から眺めると埋め立て地区の高層マンションが見えました。さらに遠くには海浜幕張駅前の高層ビル群も見えます。

 
大日堂跡の奥に首塚の案内板(その2)があります。つきあたりを左に進むと首塚です。案内板の右側に2つめの登山口があります。画像左側の茶色の小屋が「かぜひき地蔵」です。

2つめの登山口はアパートの駐車場で、いきなり大須賀山の中腹に到着です。

かぜひき地蔵におまいりすると風邪が治るそうです。

首塚の案内板(その2)の通りに進みます。

さらに山を登るのですが、今までより木が茂っています。2月でこの程度なので夏はさらに困難な登山が予想されます。

生い茂った登山道を進むと少し広い場所にでます。大きな木がたくさんあり幕張にこんな自然が残っているのだと意外な気持ちになります。この広い場所の右側に3つめの登山口があります。

3つめの登山口は住宅街となっていました。ここまでくるとほぼ山頂なので、この住宅街口からでは登山の醍醐味は味わえません。

前の画像の開けた場所から少し階段を上ると大須賀山の山頂です。大きい木に囲まれており登頂の達成感はありませんが、幕張でこのような自然林が残っていたことを知ることができて十分満足することができました。

山頂から振り返ると上ってきた階段が見えます。この階段で上った部分が馬加康胤(まくはりやすたね)の首塚とのこと。案内板には方形の塚であると書いてありましたが、木がたくさん生えており塚の形は良くわかりませんでした。

 そして首塚の上にある五輪塔がその供養塔です。江戸初期のものと伝えられる五輪塔は意外と大きく4mくらいはありそうです。もっと薮の中にひっそりあるものかと思っていましたが、予想より立派で見応えがあるものでした。

幕張に残っている数少ない自然林、そして立派な史跡を堪能できる大須賀山は幕張では意外性のある場所でお勧めです。登山口は3つありますが、住宅街口とアパート口は知らない人では見つけることが難しいので、やはり一般的な県道口からの登山が良いでしょう。難点はどの登山口も車を停める場所がないので車でのアクセスが面倒なところです。

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