2012年1月7日土曜日

外房線旧線跡を歩く

旧外房線ルート
JR外房線の土気〜大綱区間は房総大地から九十九里平野へ下る急勾配で、かつては運転の難所として有名であったそうです。現在では、土気トンネルとその先に続く大綱駅までの高架によりその急勾配を実感しづらくなっていますが、自動車で県道20号線(大綱街道)のこの区間を通るとこの場所の標高差を実感することができます。

土気〜大綱区間を通る外房線の歴史は明治時代に始まりますが、当時の路線は現在の外房線とは違う経路で敷設されていました。当初は土気側善勝寺の北側に線路を通し、善勝寺付近に約350mのトンネルを掘削することにより、この区間の急勾配を緩和させていました。ただし、トンネルの中にも急勾配区間があり大綱方面からくる列車がこの区間を上りきれないこともあったようです。

その後、このトンネルの老朽化が進みトンネル天井を取り除く大工事がおこなわれ、昭和28年には一部のトンネル区間を残しこの場所は深い切り通しとなりました。

その後、外房線の電化及び複線化に伴い昭和47年には当時のルートとは全く異なるルート(現在の外房線)が新設されることとなり、明治時代からの外房線ルートは廃止となりました。そのため、この切り通しを通る列車を見ることはできなくなってしまいました。

廃線となってから35年もたつこの区間ですが、当時の遺構が残っている場所があるとの情報を入手しましたので今回訪ねてみました。

善勝寺
善勝寺は房総大地の端にあり境内からは九十九里平野を望むことができます。土気城が存在した頃はその出城として重要な拠点でありました。

善勝寺参道から
善勝寺の北側の切り通し区間は、この区間が廃線となった後に埋め戻されてしまい今となってはその跡を確認することはできません。埋め戻された場所は高い木が生えていないため善勝寺の参道から大綱方面を眺めることができます。

善勝寺山門前
善勝寺北側の切り通し区間は埋め戻されてしまい、大綱街道沿いにはリハビリテーション施設が建っており、かつての線路跡が地中深く埋まっていることは全く分かりません。

ただ、善勝寺の山門から北側に抜ける道に何故か手すりのある道があります。この地中を外房線が走っていた時代に切り通しにかかっていた橋であり、切り通しが埋め戻されても手すりが撤去されなかったため今でも残っているのでした。

現存する旧外房線ルート
旧外房線ルートは善勝寺北側から現外房線の土気トンネル大綱側に向かいます。幸いなことに善勝寺区間の切り通しのように埋め戻されたこともなく現存しています。メインフォトにも掲載した場所ですが、この場所へのアクセスが困難なため、普段、人が立ち入ることはほとんどないようで、このルートが廃線となってから35年分の自然が待ち構えています。生い茂る草木により、ほとんど写真を撮る余裕もありませんでしたが、なんとか撮影してみました。今回は訪れた時期は冬でしたが、それでも藪具合がひどく進むのが困難な場所もありました。薄着の季節になると自然の勢いも増しますし、虫も飛び交うことでしょうから夏にこの場所を訪れることは止したほうが良さそうです。

旧外房線ルートの石垣
崖側には当時の石垣が残っています。35年前から放置されてきた場所であり、いずれ自然に還ってしまうのでしょうが、今でも当時の鉄道遺物に出会えて感慨深いものがあります。あと何年残っていることでしょうか。ちなみに、蒸気機関車の吐き出した煤が残っていることはありませんでした・・・

昼でも薄暗いこの場所は多くのシダが生えていましたが、通常より大きい葉に驚かされます。他の場所に生えているシダと種類が異なるのでしょうか。

廃線跡の人工物
善勝寺下から土気トンネルまでは少ない距離ではありますが、行く手をはばむ草木により、なかなか先に進むことができません。周囲が竹林となり、右手に人工物が見えると、現外房線ルート間近です。

たどり着くのも困難なこの場所に放置された人工物は旧外房線時代の遺物なのでしょうか?

土気トンネル
旧ルートはこの写真の場所に出てくるのですが、竹が生い茂っており旧ルートの存在を知らなければ、現外房線からその入口を確認することは難しいでしょう。

竹林を抜けると現土気トンネルです。現ルートを通る列車はトンネルの中を轟音を響かせながら通過していきます。この勢いのある姿を見ると、この場所が登りきれない列車があった位の急勾配区間であったことを忘れてしまいます。

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