2012年2月5日日曜日

高靇神社

・成山高靇神社
鳥居(成山高
千葉県四街道市にあるみそら団地と国道51号線をつなぐ道の東側に広大な造成地が広がっています。ここにショッピングセンターや住宅地をつくる計画があるようですが、開発が遅れているようでかなり長い間造成地のままとなっています。
この成山地区造成地の一部分に鳥居のある小山が取り残されており、どんな神社なのか?どうやって神社に行くのか?等、前を通る度にいろいろと気になってしまうので意を決して参拝してみることにしました。

案内看板(成山高
国道51号線からみそら団地に向かうと高靇神社へ向かう方への注意があります。この角度から見ると周囲が造成されており、鳥居にたどり着くには前面の斜面を登らないといけないように見えます。

入口(成山高
高靇神社に向かうには造成地の中を通らないといけないのですが、参拝者は通行しても良いと注意書きがありました。神社に向かうのであれば勝手に造成地に侵入して怒られることもなさそうです。

参道(成山高
造成地の中を進むと小山の右手に道があり、鳥居の前の斜面を登らなくても神社に行けるようで一安心です。

参道から造成地(成山高
参道を登りきると無事鳥居の前にたどりつきます。ふりかえると見事に周囲は開発され神社の境内だけが小山となって取り残された形になっています。

鳥居横の道祖神(成山高
鳥居の横には二つ石祠がありました。開発に伴いここに移されたものでしょうか?左側の道祖神は分かったのですが右側は何の祠か読み取れませんでした。
高靇神社とは変わった名前でどうやって読むのか見当もつかなかったのですが、鳥居の横にある絵馬の説明板の神社名にふりがながふってあったので「たかおかみじんじゃ」と読むことが分かりました。
ちなみに神社のひろばという千葉県の神社データを公開しているサイトでは「たかおじんじゃ」となっています。

社殿(成山高
正面の鳥居をくぐり参道を進むと社殿が現れました。狛犬は平成18年に奉納された新しいものですが、社殿は古そうな建物でした。
開発により鎮守の森を失ってしまった神社も多くありますが、成山の高龗神社は地元の信仰が厚いのか森を含めた境内が保存されおり、周囲が造成地であることも忘れてしまいます。造成地の中に取り残されたように存在する姿は他では見ることのない珍しい神社であり、今後、開発が進んでいくと周囲とどのように共存していくのか気になるところです。

・南波佐間 高靇神社
鳥居(南波佐間高
造成地の中に取り残されたように存在する姿が気になり成山の高靇神社を参拝しましたが、四街道市内にもうひとつ高靇神社があるということで南波佐間にやってきました。
事前に場所を調べてきたにもかかわらず、道に迷ってしまいやっと見つけたのがこの鳥居。平成13年に建てられた鳥居ですのでそんなに古いものではありません。

参道(南波佐間高
神社は山の上にあるようで、鳥居から社殿等は見えません。鳥居をくぐり参道を登って行きます。
参道は舗装もされておらず、木でつくられた階段のつづら折りが続きます。登山道のような参道に神社への期待が高まります。

富士浅間大菩薩(南波佐間高
参道を登りきるとまず石祠がありました。前面の文字がかすれていますが「富士浅間大菩薩」であることが分かります。側面に天保2年とあり、江戸時代に流行った富士講の影響がこのあたりにもあったようです。
前面にある木と綱でできたものは鳥居の代わりでしょうか?

社殿(南波佐間高
富士浅間大菩薩のさらに奥にあるのが高靇神社の社殿のようで,中には別に本殿?と神像?があり、神像の横には何故か西郷隆盛の置物がありました。
成山の高靇神社と比較するとこじんまりとしていますが、周囲は開発されておらず森が残っており良い雰囲気です。
高靇神社については情報がほとんどなく、神社のひろばでも掲載されているのは成山の高靇神社のみで南波佐間の高靇神社の情報はありません。そんなわけで高靇神社についての詳細は不明でしたが、この南波佐間で高靇神社のご由緒を知ることができました。地元の氏子の方が奉納したと思われるワープロ打ちのご由緒書きと書籍の切り抜きがあり、それらから高靇神社について知ることができます。
ご祭神は高靇神(タカオカミノカミ)という雨の神様でした。この付近は台地に谷が入り組んだ谷津という地形を利用した谷津田が多くあり、谷津田の水源である森に対する信仰として高靇神社がつくられたようです。
書籍の切り抜きには成山の高靇神社についてもふれられており、境内の斜面下には湧水があり弁財天が祀られているとのことでしたが、今は開発されしまったため、当時は存在していた湧水と弁財天を見ることができないのが残念です。


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